時を経たヨーロッパの中のクロアチア

クロアチアの文化の中に織り交ぜられたすべての独自性と影響を考慮すれば、明らかにその根源と表現は常にヨーロッパのものである。それ故、今日の欧州連合内でも、クロアチアが歴史を通して最も密接に接触していたいくつかの文化圏を特定することができる。それは中央ヨーロッパ、ドイツ、イタリア、フランス、英国やイベリアの文化圏である。

「クロアチア人」と「クロアチア」という名称は、より広い民族名である「スラヴ人」と、スラヴ人の最古の地理的共同体であった「スクラヴォーニア」や「スロヴィニャ」(ラテン語...

初期の文化史では、クロアチア人は「3つの文字体系を使う民族」として描かれている。異なる形式でのラテン語に加えて、グラゴル文字とキリル文字の2つの「スラヴ文字」も使用された。

カロリング朝時代のクロアチアとヨーロッパのつながりは、普遍的な広い西洋文化とのつながりの特徴を有しており、カロリング朝ルネサンスは、クロアチア国内にヨーロッパとしての意義をもつ文化をもたらした。

イタリア地域のアドリア海への地理的な近接性と志向性、そしてクロアチアの西欧に向けられた宗教的・政治的志向は、多くの相互偏見にもかかわらず、

地中海という地理的なつながりによって、クロアチアのイベリア半島との歴史的結びつきはポルトガルよりもスペインとの方が発展していた。

クロアチアとドイツ語圏の国々とその文化とのつながりは長く複雑である。これは特に、16世紀にフェルディナンド1世がクロアチア王に選出されてから約400年間、クロアチアがハプスブルク家、つまりオーストリア=ハンガリー帝国の一部であったことに端を発している。

パウルス・オロシウスの『世界史』のアルフレッド大王によるラテン語からの古英語への9世紀の翻訳と、アルフレッド大王が付け加えた彼の時代までの歴史概要には、...

ヨーロッパの主要な国々や文化との関係に加え、中央ヨーロッパの国々との関係も歴史的、地理的な関連性によりクロアチアにとって重要であった。